投稿日:2021年11月30日 | 最終更新日:2023年12月15日
2012年3月11日に東北で大きな震災である東日本大震災が起きました。
遠く離れた名古屋市ですら横揺れがはっきりわかったレベルでしたので
当然地震も凄かったですし、それ以上に津波や原発の事故があったので
損害は現在にも爪痕を残すレベルとなっています。
丁度この時筆者は鍼灸マッサージ師の資格を習得した年でもあったのですが
縁もあってタイミングよくボランティアに行く機会がありました。
今回はそんな東日本大震災によるボランティアを自主的に行った人に
ついて行ってマッサージをした時のお話も含めたお話なります。
現地の人はかなり前向きだった
まずボランティアに行った場所は
現地の前線だと危ないということで茨城県のとある施設に行きましたが、
避難してる人たちは原発から最も近い富岡町という所から逃げてきた方々だったので
2022年現在でも放射線量が当然多く、戻れないエリアなだけに
被災した地域の中でもトップクラスだと思います。
現地に向かう前に例のごとく物資を持っていき、
マッサージもいい環境で出来るように折り畳みのベッドも用意し、
宿泊も車内でするように準備していきましたが
施設的に空き部屋があったのもあり建物内で泊まらせていただいた上に
自分たちで食事はもちろん用意していたのですが
支給された弁当が余ってるからどうぞと渡してくださったくらいです
(一回丁重にお断りしたものの、また引き返して再プッシュしたレベルです)
何より避難されている方々は前向きだった気がします。
そしてお話もいろいろさせてもらいましたが、
通帳だけはちゃんと持っていたら良かったなと言っていたので
もし同じようなことがあった場合は忘れない方がよさそうですね・・
もちろん出来ることなら天災はあって欲しくないですが、
愛知県を含む東海エリアといえばやはり明日は我が身レベルである
南海トラフ大地震がいつ来るかわかったものじゃないですから
備えあれば患いなしであるのは間違いありません。
ちなみに当時の被災状況の一部は茨城県ですらこんな感じでした。
画像の場所は海岸沿いでたしか大洗町辺りだったはずです。
水圧だけで標識を曲げる津波の力が恐ろしいですよね・・
それ以外にも、海岸沿いのガラス張りのところが
まるでアクション映画の如く全部割れていたりなどもありました。
ただ、地震そのものによる影響はと言いますと
古い建物は確かに耐え切れずつぶれた感じになっていたものの、
基本的には屋根瓦がズレるレベルで耐えていた建物の方が多かったように見受けられましたので
やはり阪神淡路大震災の教訓が生かされていたのかなとも思いました。
実際施術したら共通するコリがあった
避難施設になっていた所にて二日間ボランティアで程度施術を行いました。
その結果様々な症状があったわけですが、気になる共通点はありました。
それは、肩甲骨の特定の位置にコリがあるということですね!
経穴的な位置でいうと膈兪(かくゆ)と呼ばれる場所になり、丁度上記の画像のような
肩甲骨の下の角(下角といいます)同士を結んだ高さの背骨から3㎝(1.5本分)ほどになります。
膈兪の主な効能はしゃっくり止めから始まり
喘息系・心臓疾患・吐血などや、手足のしびれなどにも使われる幅広いものとなっていますが
今回の場合はおそらくストレスによるものが有力かと思われます。
上記にて被災者の皆さんが前向きに過ごしていたと書いていますが、
内心はかなり不安かもしれない兆候が身体には出ているんだなと改めて思った次第です。
ただ、被災者の方の食生活と似たような内容で過ごした限りでは食事内容的にも
胃の具合がよくないかもしれないとも感じたので、
そちらの可能性も考えられたかもしれません。
事実、帰り際の高速道路のパーキングエリアでいつもの食事を食べただけでも
色々な料理が食べれるというありがたみを感じたくらいです
そんな膈兪ですが、自分で押すのは難儀どころか厳しい場所にありますので
素直に他の人に押してもらう、あるいはお灸や鍼をするのもいいでしょう!
どんな時でも気分転換は大切に
今回は忘れてはいけないであろう大震災の内容を取り上げてみましたが
ここまでではないにしても、2020年辺りから猛威を振るい続けている
新型コロナウィルスによる自粛も共通点が見いだせるのではないかと思い書いてみました。
気分が下向きになりますと身体にもモロに出やすくなります。
閉じこもって鬱憤がたまってしまうと精神的な衛生面上よろしくないので
密集に気を付けながらにはなりますが、
外の空気を吸ってみるなどの気分転換をうまくしていきたいところです。
もちろん、身体のケアも同様ですね!